アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は言わずと知れた負の世界遺産で、20万人とも400万人とも言われる犠牲者を出した、人類史上最悪の収容所です。非常に重たい気持ちになる場所ですが、一度は行ってみたいと思っている方も多いのではないでしょうか。
こちらのページでは2つの収容所について解説致します。アクセスについては「アウシュビッツ①」をご覧ください。
「アウシュビッツ②2つの収容所」徹底ガイド:目次
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アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、「アウシュビッツ強制収容所」と「ビルケナウ強制収容所」の2つをまとめた言葉です。
細かくいいますと、オシフィエンチム(ポーランド語)に「アウシュヴィッツ(ドイツ語)第一強制収容所」が建てられ、ブジェジンカ(ポーランド語)に「ビルケナウ(ドイツ語)強制収容所」=「アウシュヴィッツ第二強制収容所」が建てられた形です。
両者は3.5km離れていて無料のシャトルバスが運行しています。通常は「アウシュビッツ収容所」から見学します。
■シャトルバス(目安)
・4月~10月:10分おき
・11月~3月:30分おき
※季節や時間帯により変わります。
こちらが入り口です。営業時間は季節によって異なります。
■営業時間
・7時半~15時半:12月
・7時半~16時半:1月、11月
・7時半~17時半:2月
・7時半~18時半:3月、10月
・7時半~19時半:4月、5月、9月
・7時半~20時半:6月~8月
※入場可能時間は、閉館時間の1時間半前までです。
チケットはこちらの建物か公式HPで購入します。現地で購入する場合パスポートが必要になりますので、忘れずに持っていってください。
【公式ツアー】
■料金
・ポーランド語:50ズウォティ
・他言語(日本語無し):60ズウォティ
■所要時間
・基本:3時間半
・スタディツアー:6時間
公式ツアーの場合、残念ながら日本語のガイドツアーはありません。日本語で説明してほしい場合は、クラクフなどで「日本語ガイド付きツアー」に申し込む形になります。
また、実はツアーに参加せずに無料で見学することもできます。ただ、時間帯が制限されます。オフシーズンは「10時~16時以外」、ハイシーズンは「9時~17時以外」です。ちゃんとしたガイドブックを持っていたり、知識がある方はガイド無しでも大丈夫です。そのほか注意事項は下記になります。
・第一収容所はセキュリティチェックがあります。
・第二収容所へは「30✕20✕10cm」以上の物は持ち込めません。
荷物預かり所があり料金は4ズウォティです。
・食べ物は持ち込めません。
・雨の日は土がぬかるむので、特に下半身は汚れてもよい服装がベターです。
・写真撮影は可能ですが禁止の場所もあるので、個人で見学する方は特に注意
してください。ブロック4の「髪」とブロック11の「地下」が撮影できません。
そして、実はここから東に約6km離れた場所には「アウシュヴィッツ第3収容所(通称:モノヴィッツ)」も造られました。
モノヴィッツには約12000人が収容されていました。
■モノヴィッツを訪れるナチス党員
こちらが入り口です。まずは画面をぐるっと回して周囲を見てみてください。わずか数十年前、毎日毎日、ヨーロッパ各地から集められた無数の人々がこの門をくぐって殺されていったと思うと、すでに言葉では言い表せない感情を覚えると思います。
ゲートには有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」という言葉が掲げられています。「B」を見ると上下が逆になっているのが分かります。これには「この門を作らされた収容者が、この言葉はウソだと言うことを表現するために、抵抗としてやった」との説がありますが、実際には「この時代はこのような書体が一般的だった」ということだそうです。
photo by:BernhardWalte
この門を通った人々は、すぐに「労働者」「人体実験用」「価値なし」の3種類に分けられました。すなわち「肉体労働の役に立たなそうな人間」や「人体実験に耐えられなさそうな人間」が「価値なし」と判断されたので、自動的に老人、子供、女性がその対象になりました。
「価値なし」と分類された人々は、即座に「ガス室」へ送られ殺害されました。
photo by:historicair ※拡大できます
1:入り口
2:脱衣所
3:ガス室
4:ガスの投入口
5:死体運搬エレベーター
6:焼却炉
もちろん本当のことを言ったら従うわけはないので、シャワーを浴びれるとウソをついて、次々にガス室へと送っていきました。ガス室は最終的に7つ造られ、32分間で800人を処刑できたそうです。
photo by:Dennis Jarvis
こちらが実際のガス室です。中には入れませんが外から内部を見ることが出来ます。
第一収容所にはガス室の他にレンガ造りの建物が約30棟あります。全てに入れるわけではなく、ツアーでは5つの常設展示ブロックとガス室を見学します。特に有名な場所としては11号棟の前の「死の壁」があります。
ここでは、捕まった逃亡者やレジスタンス(反抗的な)活動をしていた人々が銃殺刑になりました。
収容所の周りは高圧電流が流れる鉄条網で囲まれていて容易には逃亡できない状態でしたが、収容所内のレジスタンスたちの後押しを受けた人々が、わずか150名ほどですが脱出に成功したとされています。
収容者の中には、自ら鉄条網に触れて自殺する人々もいました。
ごくまれに出る逃亡者を無くすため、ナチスは1人の逃亡者につき10名をランダムに選んで処刑するというシステムにしていました。このときの処刑方法は絞首刑で、見せしめとして10人並んで吊るされたままにされていました。
photo by:Fred Romero
第一収容所では最大で2万人が同時に収容されていました。残されたメガネやクツは想像を絶する量で言葉を失います。
第二収容所の入り口はアウシュビッツの象徴的な景色です。実は、第二収容所は第一収容所よりも遥かに規模が大きく、東京ドーム37個分の広大な敷地に最大で9万人が収容されました。入り口へと向かう線路はまさに「死の路線」で、多くのユダヤ人が収容されていきました。下の写真には左奥に入り口が写っています。
当然ガス室があり、次々に人が送られていきました。
こうなった経緯としては、第一収容所は建設当初、上記のとおり捕虜や犯罪者、ナチスが社会不適合者とみなした人々が中心に収容されていました。そこにはナチスが掲げていた「アーリア人至上主義」による「非アーリア人の国外追放」と「戦時中の労働力確保」という面がありました。
しかし、いつしかそこに「劣等民族の処分」という要素が色濃く加わっていき、新たな収容所が建設されました。それが後に「絶滅収容所」と呼ばれる「第二収容所」でした。
photo by:China Crisis
バラックと呼ばれる居住棟は馬小屋を改造した劣悪なつくりでした。暖房設備が無いのはもちろんのこと、トイレはベッドの下の溝でした。しかも自由に使えるわけではなく、午前午後の2回だけ、何も仕切りが無いまま一斉に使用を強制されたそうです。ベッドには布団ではなくワラがしかれ、複数人がすし詰めにされました。
アウシュヴィッツの3つの収容所は1945年1月27日にソ連軍によって解放されました。生き残っていたのは約7000人で、約500体の遺体、83万7千の婦人服、37万の男性スーツ、4万4千のクツ、7トンもの人間の髪の毛が残されていたそうです。
以上になります。世界最悪の負の遺産「アウシュヴィッツ収容所」。訪れる際はガイドをつけてしっかり説明を聞くのがオススメです。アクセスについては「アウシュビッツ①」をご覧ください。
日本語で予約出来る現地ツアーもあります。詳細はこちらからご覧ください。
■グラウンド・ゼロ(アメリカ) |
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正しくは「911メモリアルパーク」といって、2001年の同時多発テロの現場です。詳細は下記からご覧ください。 | |
■オークアレイ・プランテーション(アメリカ) |
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ルイジアナ州にあり、南北戦争時代の奴隷の生活を垣間見ることが出来ます。奴隷の価格表は非常にショッキングです。詳細は下記からご覧ください。 | |
■アンネ・フランクの家(オランダ) |
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「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクが家族と共に2年間隠れ家生活を送った家で、アムステルダムにあります。詳細は下記からご覧ください。 | |
■ゴレ島(セネガル) |
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世界に19ヶ所登録されている「負の世界遺産」の第一号で、15世紀半ばから19世紀初頭まで「奴隷貿易の拠点」として使われていました。詳細は下記からご覧ください。 | |
■頭蓋骨の塔(セルビア) |
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セルビアとオスマン帝国の戦争の中で造られた負の遺産です。街の中心地からさほど離れていない場所にあり、セルビアでは人気の観光地になっています。詳細は下記からご覧ください。 |
航空便例 | ・日本-ワルシャワ(約11時間半)
・ワルシャワ-クラクフ(約1時間) |
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ベストシーズン | 6月~8月(夏) |
外務省 | 海外安全情報 ポーランド |
ガイドブック | ポーランドのガイドブック |
ビザ | シェンゲン協定加盟国。あらゆる180日間の期間内で90日以内の観光、業務目的の滞在はビザ不要。 |
パスポート残存期間 | シェンゲン協定加盟国からの出国予定日から3ヶ月間以上。未使用査証欄1ページ以上。 |
時差 | 夏:-7時間/冬:-8時間 |
チップ | ポーターやベッドメイキング:3ズウォティ程度 |
日本への電話 | 00(国際識別番号)と81(日本の国番号)をつけて、市外局番(東京:03など)や携帯電話の090などの最初の0を取る。
例)03-9999-9999へかける場合 |
現地で使えるポーランド語 | ①おはよう。
Dzień dobry.(ジェン ドブリィ)
②こんにちは。
③こんばんは。
④ありがとう。
⑤さようなら。
⑥はい・いいえ。 |
電圧とプラグ | 220V |
通貨 | ズウォティ(通貨コード:PLN、記号:zł)で補助通貨はグロシュ(grosz)。1ズウォティ=100グロシュ。
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日本大使館 | ・HP |
ポーランドの見どころ一覧 |
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