名称 |
エルサレム
(Jerusalem) |
---|---|
場所 | イスラエル
(Israel) |
時差 | 夏:-6時間
冬:-7時間 |
時期 | 春と秋
|
エルサレムは世界屈指の古都であり、3つの宗教の聖地として複雑な歴史を歩んできたことで知られています。当サイトでは5ページに渡って特集しておりますので下記からご覧ください。こちらのページは「エルサレム④旧市街(2)悲しみの道と聖墳墓教会」になります。
・「エルサレム①観光の基本情報」
・「エルサレム②歴史の基礎知識」
・「エルサレム③旧市街(1)城壁の門と神殿の丘」
・「エルサレム④旧市街(2)悲しみの道と聖墳墓教会」
・「エルサレム⑤そのほかの見どころ」
それではご紹介していきます。
■目次
■旧市街のつくり
出典:https://news.yahoo.co.jp
3つの宗教の聖地であるエルサレム旧市街は全長4.5kmの城壁で囲まれています。城壁の上は歩けるようになっていて、11の門と43の見張り塔があり、その内部は4つの地区と「神殿の丘」に分かれています。このページでは城壁の門と神殿の丘についてご紹介します。
歴史を知っていた方が理解が深まるので、ご存知でない方は先に「エルサレム②歴史の基礎知識」をご覧ください。
■神殿の丘
出典:https://ja.wikipedia.org
「聖地の中の聖地」と呼べる、エルサレムでも特に神聖な場所です。
紀元前21世紀頃に「最初の預言者」と言われるアブラハムが神様と契約を交わしたとされる場所で、紀元前11世紀頃、イスラエル王国のソロモン王が神殿を築いたのがはじまりとされています。ちなみに、アブラハムの子孫をヘブライ人と呼び、これが後にユダヤ人と呼ばれます。
その後、神殿は破壊と再建が繰り返されますが、西暦66年にローマ軍によってほとんど破壊されてしまいます。このときに唯一残ったのが西側の壁でした。同時に、ユダヤ人は神殿の丘への出入りを禁止されたため、ユダヤ人達は西側の壁に祈りを捧げるようになりました。これが有名な「嘆きの壁」です。
ユダヤ教徒にとって最も神聖な建物(の一部)なので、ここがユダヤ教の聖地になっています。
ただ、丘の中は完全にイスラム教の聖地です。中に入るとイスラエルのシンボルでもある「岩のドーム」が登場します。
692年に完成したドームで、モスクと思っている方も多いと思いますがモスクではありません。言うなれば「聖なる岩を祀るために建てた記念堂」です。中はイスラム教徒以外立ち入り禁止です。天上の装飾なども素晴らしいので、画面をグルっと回して周囲を見てみてください。
この岩は、元々は上記のアブラハムが神様からのお告げを受けて息子を生贄に捧げようとしたとされる場所です。なので、紀元前21世紀からの長きに渡ってユダヤ教徒の聖なる岩でした。
しかし、すでにユダヤ人がエルサレムに立ち入れなくなっている6世紀に、イスラム教の始祖であるムハンマドが、大天使ガブリエルが遣わせた天馬によって、この岩から天にいる神・アッラーのもとへ昇天したとされています。岩には「ムハンマドの足跡」や「大天使ガブリエルの手の跡」とされるものが残されています。
これらにより、イスラム教においてエルサレムは、サウジアラビアのメッカにある「カーバ神殿」、同じくサウジアラビアのメディナにある「預言者のモスク」に次いで3番目の聖地となりました。岩のドームの向かいには「アル・アクサ・モスク」も造られています。
■城壁の門
城壁は全長4.5km、厚さは約3mにもなり、高さはマチマチで5~15mほどです。古くは紀元前11世紀のソロモン王の時代に造られましたが、やはり破壊と再建が繰り返され、現在の城壁は1538年に建設されました。
現在開かれている門は7つで、それぞれに名前がついていて観光スポットになっています。(東の黄金門は閉ざされています)
西部中央に位置する門で、現在のテルアビブの南にあった港町「ヤッフォ」から送られる荷物が運び込まれていました。L字になっていて、敵が攻めづらくなっています。1898年に拡張されて車が通れるようになっています。
この門から北と南に向かって城壁の上を歩けるようになっています。一周は出来ないので突き当りに達したら戻ってきます。「Rampart Walk」と呼ばれていて、常に全てのルートを歩けるわけではなく、そのときのエルサレムの状況で、両方を歩けるか片方だけか、または完全に閉鎖されているかが変わります。料金はいずれにせよ16シェケルです。
北西部に位置し、1889年にキリスト教地区へのアクセスをしやすくするために造られました。7つの中で最も新しいので新門と呼ばれています。第3次中東戦争までは、ここがヨルダンとの国境でした。
北部中央に位置し、7つの中で最も美しく賑わっている門です。門をくぐるとバザールが広がっていて、そのまま南にまっすぐ歩くと聖墳墓教会につながります。賑わっているので、スリなどに注意してください。
北北東に位置し、イエスに洗礼を施した洗礼者ヨハネの首をはねたヘロデ・アンティパスの家が近くにあったことから名付けられました。別名「花の門」。
東部中央に位置する門で、一対のライオンのレリーフがあることから名付けられました。門の外にはイエスの足跡が多く残された「オリーブ山」があり、門の内側は「悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)」につながっているため、キリスト教徒がここから入ることが多いです。
伝説によれば、16世紀にエルサレムを支配していたオスマン・トルコのスレイマン1世が、夢の中でライオンから「城壁を造って民を守らなければ、お前の父親セリム1世を食べてしまう」と言われて城壁を造ったとされています。
ここからライオンはエルサレムのシンボルになりました。別名「聖ステパノ門」。
南西部に位置する門で、外側には「ダビデの墓」などがある「シオンの丘」があります。そのため「ダビデの門」とも呼ばれています。アルメニア人地区に行きたいときに便利です。
南部に位置し「嘆きの壁」に一番近い門です。昔はここから排泄物が運ばれたため、このように呼ばれています。唯一大型車が通れる門です。
東部に位置し、現在は閉ざされていますが、かつてイエスがロバに乗ってエルサレムに入ったときの門と言われています。神殿の丘に隣接する最も神聖な門であり、3つの宗教全てが「黄金門から救世主がエルサレムに入ってきて、そのとき世界は平和になる」としています。
16世紀にオスマン・トルコが救世主の降臨を防ぐために閉鎖してしまいましたが、今も人々はそれを信じていて、まさに聖書の世界が今も続いている場所といえます。
以上になります。続きまして下記から他の見どころをご覧ください。
・「エルサレム①観光の基本情報」
・「エルサレム②歴史の基礎知識」
・「エルサレム③旧市街(1)城壁の門と神殿の丘」
・「エルサレム④旧市街(2)悲しみの道と聖墳墓教会」
・「エルサレム⑤そのほかの見どころ」
エルサレムには日本語で予約出来る現地ツアーもあります。詳細はこちらからご覧ください。
また、Wi-Fiのレンタルも日本語で可能です。
行き方 |
■航空便例
|
---|---|
ホテル検索 |
![]() ![]()
※「トリバゴ」と「トラベルコちゃん」は数百のホテル検索サイトから最安値を検索できるサイトです。
|
航空券検索
|
![]() ![]() ![]()
※エクスペディアは24時間対応の日本語デスクがあり、海外で困ったときに便利です。「スカイスキャナー」は様々な便の比較に特化しています。マイルを貯めている方はJALやANAをご利用ください。 |
現地ツア | |
外務省
|
|
備考 |
|
エルサレム
