ドミニカ共和国「コロンブスゆかりの地①新大陸発見の歴史と真実」徹底ガイド:旅の大辞典

 

名称

コロンブスゆかりの地

場所

ドミニカ共和国

(Republica Dominicana)

時差

-13時間

サマータイム:無し

時期

11月~4月

(乾季)

 

ドミニカ共和国は、コロンブスが新大陸を発見する中で3番目に訪れた島で、多くのゆかりの地があります。こちらのページでは、まず「コロンブスの新大陸発見」がどのようなものだったのかという歴史をご紹介します。コロンブスゆかりの観光地については「コロンブスゆかりの地②」をご覧ください。

 

それではご紹介していきます。

 

 

■目次

 

 

■拠点の街・最寄り空港・就航路線

 

 

拠点の街はサント・ドミンゴ。ドミニカ共和国の首都であり、カリブ海屈指の世界都市です。ヨーロッパ人が新大陸に入植した最初の土地であり、1990年に世界遺産に登録されています。人口は約260万人。

 

最寄りの空港はサント・ドミンゴの「ラス・アメリカス空港」(SDQ)。国内外合わせて27都市に就航しています。就航路線を知りたい方は、こちらからご覧ください。

 

各地からの航空券はこちらからチェックしてみてください。

 

宿はこちらです。(地図に値段が表示されてない場合、拡大縮小してみてください)

サント・ドミンゴ
Booking.com

 

 

■空港から市内への移動

 

 

空港は新市街の中心部から東に約25km離れています。市内への移動はタクシーか空港送迎になります。

 

タクシーで行く

タクシーはメーター制で、所要時間は約30分、料金は約40US$です。

 

空港送迎で行く

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空港送迎は日本語で申し込めます。詳細はリンクからご覧ください。

 

 

■コロンブスの新大陸発見=大虐殺時代の幕開け

ドミニカ共和国「コロンブスゆかりの地①新大陸発見の歴史と真実」徹底ガイド:旅の大辞典
出典:https://ja.wikipedia.org

 

ドミニカ共和国を知る上で欠かせないのが、日本人も必ず一度は聞いたことがあるクリストファー・コロンブスの存在です。日本では「コロンブスがアメリカ大陸を発見し大航海時代が幕を開けた」という一行でまとめられていますが、それは歴史に残る「大虐殺時代」の幕開けでもありました。

 

この歴史を知らないで「コロンブスの記念灯台」などを訪れても意味がありませんし、歴史を知ることで中南米の旅が意義深いものになるので、北中南米の先住民を突如襲った悲劇の歴史をご紹介します。要素を簡潔にまとめますが、約400年に渡る歴史なので少しだけ長くなってしまうのでご容赦下さい(^^;)

 

ドミニカ共和国「コロンブスゆかりの地①新大陸発見の歴史と真実」徹底ガイド:旅の大辞典
出典:https://www.biography.com

 

イタリアのジェノヴァに生まれたとされているコロンブスは、40歳の1492年にインドを探し求める航海に出ます。当時、ヨーロッパではインド産の香辛料が高値で取引されていましたが、陸路だとインドとヨーロッパの間にあるイスラム圏の商人から高値で購入しないといけなかったため、海路でインドに行って直接仕入れてしまおうと考えたからです。

 

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出典:https://slideplayer.com

 

こちらは、コロンブスが新大陸を発見する前の、ヨーロッパにおける世界地図です。北米と南米は無く、東もインドシナ半島までは描かれていますが日本はまだありません。さらに「世界は平らであり、端まで行くと大きな滝があって、その下には怪物が口を開けて待っている」と考えられていました。

 

ドミニカ共和国「コロンブスゆかりの地①新大陸発見の歴史と真実」徹底ガイド:旅の大辞典
出典:https://www.theguardian.com

 

今の我々からするとスゴイ世界観ですよね(^^;) ちなみに東洋ではインドの世界観が根底にあり、巨大なカメの上に数頭の象が乗っていて、その上に陸地が存在しているというものでしたΣ(゚∀゚ノ)ノ

 

ドミニカ共和国「コロンブスゆかりの地①新大陸発見の歴史と真実」徹底ガイド:旅の大辞典
出典:https://www.atlasobscura.com

 

しかし、もともと船乗りだったコロンブスは、丸い水平線を毎日見ていたので「世界は球体であり、西へ西へ行けばインドへたどり着くはずだ」と考えました。そして、1492年の8月3日、黄金と香辛料を求めてスペインのパロス港を出航します。

 

■エマヌエル・ロイツェ作「Departure of Columbus from Palos in 1492」
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出典:https://www.christies.com

 

西へ向かうこと約2ヶ月、一向に島が発見されない中で船員たちに不安が募るようになります。

 

この時代、実は最新の科学では世界が球体であることがほぼ判明していましたが、一般人の中では上記の「西には滝があって、行けば落ちて死んでしまう」という考えが当たり前であり、それは船乗りたちも同様でした。船員たちは給料を得るために渋々従っていた人達が多かったそうです。

 

そして、10月6日に小さな暴動が起こり、10月9日に船員たちに対し「あと3日で陸地が見つからなかったらスペインに戻る」という約束をします。そして、11日の日付が変わろうとしたとき、水夫が島を発見して上陸します。

 

コロンブスはこの島を「聖なる救世主」という意味を込めて「サン・サルバドル島」と名付け、ここをインドだと勘違いしていたことから先住民を「インディアン」と名付けました。

 

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出典:https://www.ruggeromarino-cristoforocolombo.com

 

先住民はコロンブスらを歓待しましたが、そもそもコロンブスは儲けるために航海に出ていて、スポンサーであるスペイン王とも「発見地から出る利益の10分の1をもらう」という契約を結んでいました。何も知らない先住民が指示通り動くのをいい事にコロンブスは略奪を始めます。

 

サン・サルバドル島(下の地図の①)での略奪を終えると、10月28日には現在のキューバ島(②)に達し、12月6日には今のドミニカ共和国とハイチがあるイスパニョーラ島(③)に到着しました。

 

 

すると、12月24日に船が座礁してしまい、コロンブスはその残骸で要塞を造らせます。これが北中南米における史上初のヨーロッパ人の入植地です。

 

一定の成果を得たコロンブスは、年が明けた1月にスペインに向けて出航し、3月に無事パロス港に戻ります。スペイン王に成果を報告し、コロンブスは契約どおり巨額の富を得ることに成功します。新大陸の発見にはローマ教会も関わっていて、ローマ法王はスペインに新大陸を探検し入植する独占的な権利を与えました。

 

そして、約半年後の1493年9月、再び航海に出たコロンブスは、11月に現在のドミニカ国があるドミニカ島に到着します。すると、前回訪れた際に造った植民地は原住民に破壊されていて、残した船員達も全員殺されていました。ここからスペインによる大虐殺が始まります。

 

ドミニカ共和国「コロンブスゆかりの地①新大陸発見の歴史と真実」徹底ガイド:旅の大辞典
出典:https://www.wsj.com

 

まず、コロンブスが到着してから数ヶ月で約5万人の先住民が殺されます。この頃はまるでゲームのように殺戮が行われたそうです。はじめは抵抗していた先住民も逃亡するほかなくなり、それにより土地が荒廃し後の飢餓につながります。

 

さらに、スペイン人の到来はそれ自体が現地には無かった菌やウイルスの到来を意味しました。免疫を持たない先住民に疫病が蔓延し人口の減少が加速します。

 

香辛料と黄金を求めてやってきたコロンブスは、最初とにかく先住民に黄金を要求しました。しかし、アフリカと違ってカリブ海の島々には元々黄金が少ないため、現地人は必死に黄金を採掘してスペイン人に献上しました。規定の量に達すれば問題ありませんが、少しでも達しなければ手首が切り落とされたそうです。

 

その過酷な労働の中でも多くの先住民が命を落としましたが、次第にスペイン人は「ここに黄金は無いんじゃないか」と気づきだします。献上される香辛料も見たことが無いものばかりだったので、コロンブスは目的を「奴隷貿易」に切り替えます。

 

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出典:https://court.rchp.com

 

殺戮、疫病、労働による過労死、飢餓、奴隷貿易などにより、最初に上陸したサン・サルバドル島では10年間で数十万人の先住民が全滅、3番目のイスパニョーラ島では40年間で300万人から200人にまでなったそうです。

 

これだけでも大変な事態ですが、現実的には約400年に渡る「大虐殺時代」の幕開けに過ぎませんでした。スペインは南米のインカ帝国や、中米のマヤ文明・アステカ文明などを滅ぼし、イギリスやフランスは北米大陸に入植していきネイティブアメリカンを殺戮していきました。

 

最終的には北中南米で数千万人の先住民が殺され、多数の民族が絶滅しました。

 

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出典:https://www.britannica.com

 

ちなみに、コロンブスが新大陸を発見する約50年前の1441年には、ポルトガルによるアフリカ人奴隷貿易が始まっていました。1480年代には、ポルトガルとスペインによる奴隷貿易会社「ギニア会社」も発足していて、その後の約300年間で約1000万人がアフリカから各地に「出荷」され、新大陸にも労働力として多数の奴隷が送り込まれました。

 

これらの歴史を見ると、もちろんアフリカも過酷な苦難の歴史をヨーロッパによって強いられたわけですが、北中南米は完全に「塗り替えられてしまっている」ことが分かります。

 

ドミニカ共和国「コロンブスゆかりの地①新大陸発見の歴史と真実」徹底ガイド:旅の大辞典

 

日本人は、北中南米の先住民に対し「ジャングルの奥地、荒野、北極圏などで、昔ながらの生活を送っている人々」と認識していると思います。確かに、既に100年はその状態が続いているので、我々の認識として誤りではないのですが、実際には「何千年も暮らしていた住みやすい土地を全て奪われ、過酷な環境でしか生きることを許されなかった人々」なんですね。

 

ほとんどの先住民族が、殺戮やヨーロッパ人との交配で絶滅させられたことを考えると、現在細々と生き残っている先住民族は、まだマシだったとすら考えられます…。そしてもちろん、日本でもアイヌの人々は同じように住む土地を追われていったことを忘れてはいけないですよね。

 

ドミニカ共和国「コロンブスゆかりの地①新大陸発見の歴史と真実」徹底ガイド:旅の大辞典

 

コロンブスはどうなったかというと、実は新大陸での統治方法が問題視され逮捕されてしまいます。罪は免れたものの全ての地位を剥奪され、最後はスペインのバジャドリドで死去します。

 

この流れもあって、新大陸は、コロンブスと同時期を生きた探検家アメリゴ・ヴェスプッチが発見したものとされました。それが現在のアメリカ合衆国の名前の由来になっています。

 

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出典:https://healthresearchfunding.org

 

ページ上部の動画は「コロンブスの航海を記念しているアメリカの祝日『コロンブス・デー(10月の第2月曜日)』を本当に祝日とすべきなのか」というテーマのアニメーション動画です。6分で簡潔にまとまっていて、日本語字幕も出せますので、ぜひご覧ください。

 

以上になります。続きまして「コロンブスゆかりの地②観光の見どころ」をご覧ください。

 

日本語で予約出来る現地ツアーもあります。詳細はこちらからご覧ください。

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■備考

行き方

■航空便例
日本-ニューヨーク空港(約12時間半)

 

ニューヨーク空港-サント・ドミンゴ空港(約3時間半)

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備考

 

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